慎太郎先生、大勝利です!~芥川野望編~

芥川賞の季節がやってきました。今度こそ舞城王太郎がとれるといいですね、などと心にもないことをいう。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1068126&media_id=54

というわけで、我らが石原慎太郎大先生の芥川賞名言集いってみましょう。候補作皆殺し。
近年は特に文学に対する絶望が激しいようで05年には各選評を放棄するなどしている。96,7年頃や町田受賞時にはまだ希望をいだいて風な総評もあったのだけれど。
以下、
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/index.htm
より。

第115回 平成8年/1996年上半期
川上弘美(受賞)「私には全く評価出来ない。蛇がいったい何のメタファなのかさっぱりわからない。」「こんな代物が歴史ある文学賞を受けてしまうというところにも、今日の日本文学の衰弱がうかがえるとしかいいようがない。」

第116回 平成8年/1996年下半期
「今回の芥川賞のヴィンテイジは当たり年ともいえるのではなかろうか。箸にも棒にもかからぬような候補作とつき合わされる不幸をかこつこともままあるが、今回はどの作品も一応は読ませてくれた。」

第120回 平成10年/1998年下半期
平野啓一郎(受賞)「いろいろ基本的な疑義を感じぬ訳にはいかない。」「この衒学趣味といい、たいそうな擬古文といい、果たしてこうした手法を用いなければ現代文学は蘇生し得ないのだろうか。私は決してそうは思わない。」「浅薄なコマーシャリズムがこの作者を三島由紀夫の再来などと呼ばわるのは止めておいた方がいい。三島氏がこの作者と同じ年齢で書いた「仮面の告白」の冒頭の数行からしての、あの強烈な官能的予感はこの作品が決して備えぬものでしかない。」

第122回 平成11年/1999年下半期
藤野千夜(受章)「私にはあくまで一人の読者として何の感興も湧いてこない。平凡な出来事の中で描いてホモを定着させることが新しい文学の所産とも一向に思わない。私にはただただ退屈でしかなかった。」

「現代の新しい文学を造り出そうという新しい作家たちに新鮮な輝きが乏しいというのは、いかなる理由によるものか折節に考えさせられる。」「物を書くというのはかなり厄介な仕事だが、それまでしての作業の中で、それぞれの人生の中での抜き差しならぬ主題を収斂して選ぶという作業そのものが、情報の氾濫の中で杜撰なものになってしまっているのではないかという気がする。」

第123回 平成12年/2000年上半期
町田康(受章)「今日の社会の様態を表象するような作品がそろそろ現れていい頃と思っていた。その意味で町田氏の受賞はきわめて妥当といえる。」「それぞれが不気味でおどろおどろしいシークエンスの映画のワイプやオーバラップに似た繋ぎ方は、時間や人間関係を無視し総じて悪夢に似た強いどろどろしたイメイジを造りだし、その技法は未曾有のもので時代の情感を伝えてくる。」

第124回 平成12年/2000年下半期
「昨今、小説に関してその真髄であるべき物語性があまり斟酌されないような傾向だが、最後まで読者を引きずっていく力こそエンターテイナーの必要条件だが、それが芸術性の負の要因となることなどあり得まい。読みながら間をおかぬ訳にいかぬ小説など、退屈の同義語としかいいようない。」「そういう意味でも、青来氏以外の作品は私には論ずるに足りないものにしか思えなかった。」(*そしてホントに青来以外の作品に対して評を書かなかった)

第126回 平成13年/2001年下半期
長嶋有(受賞)「ある種のペーソスはあっても、実はごくありふれたものにしか感じられない。こんな程度の作品を読んで誰がどう心を動かされるというのだろうか。

第130回 平成15年/2003年下半期
金原ひとみ(受賞)「私には現代の若もののピアスや入れ墨といった肉体に付着する装飾への執着の意味合いが本質的に理解出来ない。選者の誰かは、肉体の毀損による家族への反逆などと説明していたが、私にはただ浅薄な表現衝動としか感じられない。」
「今回の候補作の作者はいずれも若い(綿矢・金原)、ということでそれぞれの主題がそれぞれの青春についてであったことは当然のことだろうが、それにしてもこの現代における青春とは、なんと閉塞的なものなのだろうか

第131回 平成16年/2004年上半期
舞城王太郎「多くの作品の中の会話がことさら現代的に幼稚化されているが、それが決して作品にアクチュアルな性格を付与してはいない。」「題名そのものまでが『好き好き大好き超愛してる。』にいたっては、うんざりである。

第132回 平成16年/2004年下半期
阿部和重(受賞)」「主人公の少女への偏愛という異常性の所以が、自分の子供の裸の写真を撮って離婚されたという説明に終わっているだけで、小説としての怖さがどこにもない。」「複数の選考委員の間で、多少瑕瑾はあっても、この作者にはもうそろそろこの賞を与えてもいいのではないかという声があったが、そうした発想はこの伝統ある文学賞の本質を損なうものではないかと危惧している。」

第134回 平成17年/2005年下半期
総評のみで各評ナシ。
「多くの候補作の印象は小器用だがマイナーという気がしてならない。これらの作品を読んで何か未曾有の新しいものの到来を予感させられるということは一向にないし、時代がいかに変わろうと人間にとって不変で根源的なものの存在を、新しい手法の内であらためて歴然と知らされるという感動もない。」

第138回 平成19年/2007年下半期
川上未映子(受賞)「私はまったく認めなかった。」「乳房のメタファとしての意味が伝わってこない。」「一人勝手な調子に乗ってのお喋りは私には不快でただ聞き苦しい。この作品を評価しなかったということで私が将来慙愧することは恐らくあり得まい。
楊逸「日本語としての文章が粗雑すぎる。」「アーサー・ビナード氏の詩集の日本語としての完成度と比べれば雲泥の差である。選者の誰かが、「こうした素材を描いた小説が文藝春秋の本誌に載ることに意味がある」などといっていたがそれは本来文学の本質とは全く関わりない。」

第140回 平成20年/2008年下半期
津村記久子(受賞)「私としてはこの作者の次の作品を見て評価を決めたいと思っていたが、他の作品のあまりの酷さに、相対的に繰り上げての当選ということにした。」
「今回の受賞作以外の作品に、反発をも含めて、読む者の感性に触れてくる何があるというのだろうか。どれも所詮は作者一人の空疎な思いこみ、中には卑しいとしかいえない当てこみばかりで、うんざりさせられる。」「一方の直木賞候補作品たちに比べてみても、今日の純文学とか称されるカテゴリーの作品の不人気衰退が相対的にいかにもうなずける。」

第141回 平成21年/2009年上半期
「文学賞もやたらに増えはしたが、新人作家なるものがどれほど、狂おしいほどの衝動で小説という自己表現に赴いているかはかなり怪しい気がする。」「それは、作家の登竜門ともいわれている芥川賞の候補作品なるものが、年ごとに駄作の羅列に終わっているのを見てもいえそうだ。」

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